■2010年 ルミナリエ
ルミナリエの案内

明日からボランティアサークルは、
ルミナリエの募金活動に参加します。
今まで3・4回生のみでサークル活動をしていましたが、
今年になってから、1・2回生のサークルメンバーが入部し、
そしてサークルメンバー以外の学生も一緒に
ルミナリエに参加することになりました。
昨年は、人数の関係で1日のみの参加でしたが、
今年は昨年より2倍の人数で参加が可能になったので
5日間参加します。
下記に、開催の詳細を掲載します。
開催期間 : 2010(平成22)年12月2日(木) 〜 12月13日(月) 12日間
点灯時間 : 月〜木曜日 18:00頃 〜 21:30
金曜日 18:00頃 〜 22:00
土曜日 17:00頃 〜 22:00
日曜日 17:00頃 〜 21:30
参考までに、
今回のブログ記事には昨年のルミナリエの写真を載せておきます。

ぜひ、阪神淡路大震災の風化させないためにも
期間中に神戸の三宮から元町近辺に立ち寄ったら
ルミナリエに足を運び、来年の継続のためにも募金をお願いします。
8月からブログの更新が止まってしまっていて、
申し訳ございませんでした。
後日、ルミナリエのボランティアの報告のブログを書くので、
楽しみにしてて下さい。
<PRIDE OF KOBE 代表 廣島実香>
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■小島克巳准教授にインタビュー
「小島克巳准教授を取材!」
今回、教職員取材で航空業界ご出身の小島克巳准教授にインタビューを行いました。

1.幼少から学生時代
私は1965年3月に東京都大田区で生まれました。大田区というところは羽田空港がある所ですね。蒲田というJRの駅がありますが、その近くで生まれました。東京生まれ、東京育ちなので関西弁はあまり上手くありません。小学校3年生の時に神奈川県相模原市に引越したんですけど、その後は大学を卒業するまで相模原にいたので、まぁ東京都と神奈川県で育った感じです。
記憶にはないんですけど、私は電車が好きだったらしいです。両親に聞くと、当時2、3歳の頃、東急電鉄の旧目蒲線(現多摩川線)の踏切が家から近かったので、そこに私を抱いて連れて行くと、ずっと飽きずに電車を見ていたそうです。鉄道マニアとまではいかないけど、乗り物好きというのは子供の時からなんですね。車や船には関心はなかったです。飛行機も最初はあまり関心がなかったですね。今の若い人は旅行に新幹線か飛行機を普通に使いますが、私が子供の頃は飛行機って特別な乗り物のイメージが強かったんです。
私の子供の頃は海外旅行なんてめったに行けるものではないし、飛行機よりも鉄道の方に関心はありました。中学・高校の頃はお金を貯めて、夏休み、冬休みに友人とか1人でぶらっと北海道に行ったり、青春18切符を使って乗り継いで遠くまで行ったりしました。中学から愛読書が時刻表になってきた感じで、時刻表で調べていろんな旅行プランを立てることを楽しんでいました。
大学は慶応大学商学部に進みました。サークルは鉄道研究会とテニスサークルに所属していました。大学での勉強では、小さい頃から関心あったことを生かして、交通政策を学ぶゼミに入りました。鉄道に限らず、航空などを含めて勉強しました。例えば、もっと規制緩和して自由に競争させた方が、利用者にとって運賃が下がるサービスも良くなるし、その方が良いんじゃないかとか、経済学を使ってそういう交通政策を勉強するゼミでした。ですので、ゼミ仲間も運輸業界とか、電力・ガス・電話会社とか、そういう運賃や料金が規制されている産業に関心がある連中が多かったです。まぁそういうゼミに所属していたことによって、私自身の就職希望先としては、鉄道会社もあったし航空会社もあって、何社か受けたのですけど、最終的にはJAS(旧日本エアシステム、現在はJALと経営統合)に入社しました。
航空会社を志望した理由は、日本の航空業界がどんどん自由化されていって、業界としてこれから飛躍的に伸びるだろうと予想したからです。それまでは国際線はJALしか飛んでいなかったんですけど、国の政策が変わってANA、JASが国際線に出始め、反対に国内線も、JALが今までは幹線と呼ばれる路線しか飛べなかったのが、ローカル線にも飛ぶようになっていきました。
あと、私が大学を卒業した1987年に旧国鉄が分割民営化されてJRが発足したのですが、私が大学4年生の時は、ちょうど国鉄最後の年で翌年からJRに変わるために新規採用がなかったんです。そういうこともあって国鉄は受けることができずに、私鉄会社を何社か受けたんですけど、結局私鉄だと地域限定の仕事になってしまうので航空会社に入りました。昔から乗り物好き、旅行好きで、そのようなことが高じて航空会社に入ったわけですね。
2.本学着任前社会人時代
JASには1987年に入社し、ちょうど10年勤めました。最初は福岡空港に配属されて空港カウンター業務を担当しました。カウンターでの航空券販売やチェックイン、出発ゲートでのアナウンス、そういう仕事を2年半やりました。やはり運輸業界は初めに現場に配属されます。航空会社を利用するさまざまなお客様と出会えることができて、いい社会勉強になりました。
その後、東京に戻って運航本部という部署に7年在籍しました。そこでの私の最初の仕事は毎月の航空ダイヤの作成でした。航空会社には運航、整備、客室などいろいろな部署があるので、それぞれの部署が集まってダイヤ検討会議を行います。私はパイロットの勤務が効率的になるようにとか、よりパイロットの人数が少なくすむようにという観点でダイヤを検討するのですが、営業などの部署との利害がなかなか一致しないので、毎回徹夜の会議となりました。
次に、パイロットの養成計画を策定する仕事をしました。会社としてこれだけ便数を飛ばす、というのがありますよね。それに応じてパイロットが何人必要かをはじくわけです。今いる人数で足りなかったたら、採用を毎年何人ずつ増やさなければいけないとか。パイロットは1つの機種しか乗務できないので、それぞれの機種に応じてちゃんと人数を確保しないと飛行機が飛ばせなくなります。経営企画担当の部署が、新しい機材をいつ購入して、国際線とかも含めていつからこの路線をやって、そういう路線とか便数の計画を作ってきます。そうするとそれに合わせて、私が例えばこの機種にはあと何人パイロットの養成をしないといけないとか、新機種の訓練にいつから何人入れようとか、訓練に入れる分をどの機種のパイロットで補充しなければいけないとか、何かそういうパズルを解くみたいな仕事をずっとやってきました。
その後、JASが当時の最新鋭機であるボーイング777(トリプルセブン)を新たに導入するのにあたって、その導入に関わる仕事を担当しました。具体的には、アメリカのボーイング社との調整とか、工場のあるシアトルに出張してJASが導入するB777がきちんと製造ラインを進んでいるかチェックしたり、パイロットの訓練の打合せをしたり、そのような仕事をしていました。辞める最後の半年間は経理部に所属して、コストをはじいて運賃を算出する仕事をしました。その頃にもっと勉強したくなって大学院に行くことにして、大学院の入試に合格したので1997年3月末にJASを退職しました。
1997年4月からは、慶応大学の大学院に進学して学部時代のゼミの先生の所に大学院生として戻りました。大学院時代には日本大学と芝浦工業大学で非常勤講師として経済学を教えていました。また、ちょうどその頃、スカイマークを立ち上げた人が大学の先輩だった関係で、航空会社出身の人じゃないとわからない専門的な仕事があるので、その人から少し手伝ってくれと頼まれて、週2日だけスカイマークの本社に通って仕事をしていました。 2006年後半からの約1年半は霞ヶ関にある国土交通省の研究所にいました。そこでは、国家公務員として国の交通政策に関する調査や研究をしていました。
それと前後して、神戸夙川学院大学で航空関係の教員を募集しているという話を知り合いの先生が持って来られて、それが縁で本学に来ました。
3.学生に期待すること。
最近の学生は指示待ち人間というか、物事を自ら考えることをしない人が多いので、自分の意見をしっかりもってほしいと思います。専門の航空に関連していえば、外山滋比古のベストセラー『思考の整理学』のなかに「グライダー人間」と「飛行機人間」という言葉が出てきます。

今の学生はこの「グライダー人間」が多い。自分の力では飛べない。上空に引っ張り上げてもらってそこで切り離されて、パーっと飛んでるだけ。一方、「飛行機人間」は自分の意思で飛び立って、行きたい方向に自分の意思で飛んで行く。だから、学生には「グライダー人間」ではなくて「飛行機人間」になってほしいですね。
最後に、私の先輩、同僚、後輩がJALでがんばっているので、もし機会あれば是非JALを利用してあげて下さい(笑)。
小島先生、取材へのご協力有難うございました。これからも宜しくお願いします。
<PRIDE OF KOBE 川辺寛規 青山晃貴>
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■蒲池由雄教授にインタビュー! 〜後半〜
「蒲池由雄教授にインタビュー」
前回に引き続いて蒲池由雄教授インタビューの後半をご紹介します。

ホテル総支配人で得られたこと
総支配人とは一言で言えば、講義の総支配人論でも毎回やってるんだけれど、ホテル建物全部を包括した経営者ですよ。ホテルをお城としたら、ホテルの殿様でありながら、その城を守らなければいけない。良い格好してもいけませんし、総支配人の配下は、パート、アルバイトの人達まで全部含めて面倒見てあげければいかん。面倒見るということは、お掃除の方にまで目配り気配りをして声掛けをして完璧な仕事をしてもらい。それによってお客様に沢山来ていただいて売り上げを上げていただかなければいかん。つまり、『ホテルの隅々まで建物の内外まで全部の経営を勉強できた』。それは、非常に大きな得たことになります。上位者から下位の方々までの気持ちが理解出来うる強い信念と責任感を持ったリーダーシップを得られた。
ホテル総支配人時代
総支配人で色々な修羅場を経験して、今顧みると全部含めてよかったです。ホテルは何かある。総支配人って、もちろん24時間、365日。僕らでも、週休2日制だからちゃんと家に帰って遊びもあるし、空きがあれば帰って寝てるし。旅行も行くし、映画見に行ってたりもするときもあるから。それでもね、総支配人ってね、帰宅する際には、今夜も何事も起こらないように頼むぞって心では祈っている。家で寝るでしょ、朝起きてカーテン開けるとパァーっと天気が良い、昨夜は、何も電話かかってこない。はあ、よかった。何もなかったんやなと思う一時を感じる。これで、真夜中に電話が鳴ったらぞ〜とする、この習性は未だに私にはある、だから携帯の音にぞ〜とする一種のトラウマやね、総支配人は、本当にストレスたまる仕事です。何もなくて平和で安全が肝心です。しかし何かあるし起こる、ホテルのどこかで。帰宅しての電話では、内容を聞くとお客様からお腹痛なりました。子供がひっくりかえって、怪我しました。宴会中のお年寄りが、餅をのどに詰めて救急車を呼んで病院へ行っています。それから、エステテックとかプールとかでも色々ある、冬は温水で、ひっくりかえって頭うって、救急車で今外科手術しているお客様も発生した、総支配人の立場と言ったら、何にも無いと言うことが 、電話もないといったら。良かったと思うのが常なのである。しかしその修羅場経験ってのは、抱負な経験ほどに
自分の人生経験の引き出しが増えて、だんだんにスーパーマンになっていく。総支配人ってのは、スーパースターを目標にして、スーパーマンになろうと思わねば勤まらないと思う。精神力も相当強くないといかん。おろおろしたり、部下にマル投げするのはもってのほか。部下に大丈夫だ、安心するんだと言い切れる人物に常にありたい。だから、3回生になって僕のホテルの講義を受けたら,『防犯・防災・衛生』っていう3大危機管理と覚えといたほうがいい。火事、食中毒、防犯。防犯っていうのは、暴力や犯罪の事(ホテルの治安セキュリテイー対策)。この3つ3大危機管理を授業で取り上げて言うからね。ビデオを見せるしね。ウワァーっとなる。ユニークの授業やろうけども、そんなのがあって。だから、総支配人は、そういうことを全部総括して、お城で言うと殿様やから、お殿様やから、全部その責任がある。ただ、総支配人になれるっていう人は、『1000人に1』って言われている。だから、だいたい平均で言ってるけど、シティホテルのグループホテルをえて、シティホテルはパート、アルバイトも入れると登録された人も含めて1000人ぐらいが働いているんですよ。総支配人たった1人や。部長ってのは数人、課長はその倍、マネージャーも同じ、チーフも複数いる。総支配人は、たった1人だ。だから、よく言う、1000人の中で1人になれるってことは大変なことなんですよ。その下ずみも色々あって、色んな修羅場をくぐっていって、あの人だったら総支配人に相応しいと部下たちに経営者だけの能力を必要とされるだけでは駄目で、人格、品格、人柄、責任感、正義感、外交力、安心感を兼ね備えてはじめてその中から選ばれるのであってあの人やったらできる、または今は未だ無くても可能性を秘めている。そんな人がホテルの総支配人になるのである。そのような気持ちを持続させていた。
蒲池先生のホスピタリティとは
私のホスピタリティというのは、簡単に一言で言うと『日本人の心からのおもてなしの姿勢と思います』。僕は、今までこの質問を過去他企業や異業種の方々からホスピタリティとは何ですか?とよく聞かれましたし、今もって度々質問されます。
総ての企業や仕事には必然的にマニュアルがあります。『マニュアルを超越したプラスαの部分がホスピタリティの理論だと思っています』。だから、さっき言ったような、「体温計貸してくれ。」「はい、体温計です。」これは、マニュアル通りです。ちょっと待てよと。体温計?相手、熱あるということやろな。それしか考えられないしそこで自分にも熱があったらどうしてもらったら良いのか?問題意識が芽生えて「リンゴやら氷持って行こう」と。あっ、持って行ってあげようっと。これがプラスαの部分。わかりやすく言うとね。だから、熱に体温計っていうテーマで、いつもそれを何遍も繰り返し言うてるねんけど、ってことは、マニュアルを超越したプラスαの部分。これを考える力というのが、ホスピタリィティ。老人が倒れた。老人がこの場で倒れた。助け起こす。これ、マニュアルです。かわいそうやって言って助けるでしょ。これで終わっていたら、もうその場で終わり。何で、倒れたんや。どっか釘出てへんか、段差ないんか。あっ、段差あった、直しとこ。これは、プラスαの部分ですよね。わかりやすく言えば、そういうこと。僕、学生のみんなに言いたいのはそこなんです。考えよう。何で倒れたんや、何で体温計って言うてるねん。それが、考える力というか、過去の大昔から日本人のおもてなしの心ってあるんですよね。
どこかのホテルのクレドに学ばなくても日本人のおもてなしは、既にあったのです。
難し言葉では「ケースメソッド(事例を検証)」すれば、判りやすい。

本校の生徒に望むこと
『もっと積極的になって欲しい』。『時代を読んで欲しい』。この2つですね。時代を読んで、知って欲しい。あの、ハハンっていう程度ではダメ。時代を知ったら、もっと積極的に動こうっと。で、もう1つ。『神戸夙川学院大学の誇りを持って欲しい』。僕は、少なくても誇りを持っています。だから、他企業の方々に最初会う際には大学名は無名でも積極性と情熱を持ってホテルのマナーの経験を重ねて深く理解を得てきている。ホテルでも最初リーガロイヤルホテルは知られずに、首都圏のホテルからは、無名だったので靴屋のホテルと言われていた。しかし絶えず誇りを持ってきた。今や知らない人はいないほどに浸透した、人間力の基礎は『人間としての誇りだと』思うのです。つまり、『本校の学生としての神戸夙川学院大学生の誇りとは、自分自身が創造し作っていかねばならない』。うちは何だ、あんな大学に負けてたまるかと本学は、観光文化学部だと、どこにあるんだ、兵庫県に1つしかないんだ、この関西でも数えるほどしかないだとしかも、国をあげて観光立国にしようやと言っている直前に1番いい時に大学が出来たんだと。よっしゃーっと。だから、僕は授業でよく本当にプライドを持っていこうぜ、誇り持って行こうぜって何度も言ってる。具体的にはそういうこと。
最後に『他人の目や評価を意識して負け犬で終わらせず不屈の精神力と情熱を持った学生になって欲しい』。
その他
僕は本校に来てTVの取材に2度出演した。神戸のホテル戦争とかね。それから、関西のホテル稼働率競争の読売テレビも出たしね。それで僕、実は講演に数度行っているんです。この間、知事から任命されて仕分け人に任命された。具体的には、兵庫県の中の観光地の業績の悪い観光地を良くしてくださいと。僕と大手前大学のある先生が仕分け人に任命された。これ最近の話。神戸夙川学院大学のHPに載っている。まず、夢舞台って、淡路島にある。あれってもの凄い赤字やから、先生の力で何とか黒字にしてくださいって言われて。何度も行っています。夢舞台とウェスティン淡路って。それを僕ともう1人の先生がチェックして、ここあかん、あそこあかんっていうことで。現地行ってですね、ウェスティンの社長とかみなさんに会ってですね、それから、兵庫県の旅館ホテル協同組合の会長、社長の方々とどんどん会って、講演に行ってるんです。例えば、旅館のお女将さんばっかり集まった中に、さっき質問された僕が思うホスピタリティの話を1時間講演してくださいって。有馬温泉のみんなが集まる所に、僕1人で行って、講演に行って、そんなことを今最近盛んにやっています。大学で講義をするだけでなく外で。たぶん、そんなところに呼ばれていくってことは、
『今の時代、観光系でのホスピタリティ理論』を他産業でもどしどし取り入れて行かねばならないとひっ迫しているのでは、ないのかと思います。
だから私は、本校の学生たちが大人社会へ出発する際には『ホスピタリティの精神力』を持って卒業していって欲しいです。
蒲池先生お忙しい中、取材へのご協力有難うございました。これからも宜しくお願いします。
<PRIDE OF KOBE 中森勇貴 川辺寛規>
宜しければクリックお願い致します。
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